放蕩の本

いわゆる「小説」の醍醐味を「セックスを介した男女の人間模様」に集約してしまうのなら、立原正秋ってつくづく手練だなあぁ。文庫本をカシテクレと言ったら「この人好きだったのよね〜」と母が本棚を掘り返してくれたのだが、大人になるって良いなぁ。

『きぬた』では何人もの女性と何人かのエロオヤジがどろどろのぐでぐでな関係になっている割には、なんだかんだですがすがしい。富士の裾野の描写がきれいだからというのもあるのだろうけれど、主人公(?)の放蕩とメイソウぶりが、泳ぎの達人が抜き手をきって泳いでいく様と同じくらいの清冽な印象を残す。

坊主、人妻、ふたまたみまた、近親相姦・・・禁忌ネタの宝庫のわりに隠微さも猥雑さもない。さくさくっと沖まで泳ぎ出てしまう。臭いナルシシズムがかけらもないからかもしれない。

禁忌ネタで対照的に超臭い渡辺淳一の『桜の樹の下で』をふと思い出した。ありゃー、あまりにつまらなさすぎて、笑える。笑うしかない。「で、だから?」とか「後日談としては『美人女将謎の自殺』って女性週刊誌に載るんだろな」とか、しようのない感想しか持てなかった。連続もののAVにして「京都桜ふぶき親子丼」てタイトルにしたらちょうど良いだろうなーってか。

逆に『きぬた』だと能を見たいとか、寺に行きたいとか、沢を見たいとか、銀座で呑みたいとか、着物を着てでかけたいとか、ベタな欲求も沸くというもの。おもしろい本だなーと思ったけれどうまく説明できないからかもしれないが、かといって馬鹿みたいに小説をなぞるほど痛々しいタイプに落ちたくないものですな。

でも、ちょうど銀座にでかけたついでに、早い時間から呑んでみた。バーテンさんに「結構ピッチが早いんですね」と言われ、苦笑い。背伸びもいいとこ、なんだ結局痛い人。_| ̄|○

きぬた (文春文庫 122-4)

きぬた (文春文庫 122-4)