芝居の本

座頭市を見てきた。しぼさわかんの原作は読んだことないし、古いほうの映画も見ていないが「勝新がかっこいいんだよなー、これが」とうそぶく20そこそこの男の子を「ありがちね」と腹で笑った事はある。北野武座頭市はトライバルな四つ打ちでまとめられていて、チャンバラが音楽だという事を再認識させてくれる楽しい映画だった。

ハリウッド映画が銃器シークエンスで発達したのなら、日本の映画は殺陣シークエンスで発達してきたのかもなあ〜なんて。映画館の前にあった「西のマトリックス東のHERO」というコピーにはさもありなん、と思ったが、これもそういう流れに逆らわずに洗練されたアクションシークエンスを見せつける。件の2作のように映像技術自慢大会ぽくない分、ストーリーも楽しめた。

ストーリーは自分本来の姿と違う何かに「ヤツシ」ている登場人物達を中心に展開していく。そもそも的にいえば、人形浄瑠璃も歌舞伎もこういった「ヤツシ」モノで発展したそうで、クラシックなお話としてはありがちにしてやめられない構造なのね。なんてー『歌舞伎の歴史』で仕入れた、ちょっと体系的な薀蓄を思い返した。

もちろん、悪い奴はみんな死ぬし、様々な複線は最後までにはきっちりと表面化するから後味は良い。ただ、おもしろいのは「もう(元に)もどっちまったらどうなんだよ?」と言われたおせいちゃんが、「こっちのほうが色々と都合が良いからいいのっ」って言い切ってみんなで笑うところ。「ヤツシ」ていた姿を虚偽の自分だったとか、仮の姿だったとか勝手に整理して自分の後半生を正当化しはじめるキャラクターなんてのは、時代劇の中じゃなくてもたくさんいるが、「ヤツシ」ていた姿も全部ひっくるめてそのまま図太く生きていく明るさが気に入った。

「世界のキタノ」と言われて、最後は大団円を迎える勧善懲悪映画をスタイリッシュに創り上げた北野武は、金髪碧眼(ネタバレ)のスーパーヒーローに身をヤツシたわけで。最後っ屁のような一コマは確かに蛇足なんだけど、そこは北野武の図太さなんだなーと、一本取られた形になってちょっと笑った。

「歌舞伎の歴史」岩男哲也 / 岩波新書 693円