お嬢様の本

彼氏をつれて久々に実家に帰ると、小さい女の子達がごちゃごちゃと居間にいる。仕込みっ子やら使用人の子やら入り混じっていて、うるさい。居間の端の二段ベッドのようなスペースに布団を敷き詰めさせ、誰の次は彼という風に女の子達の寝床を決めていく母上を2階に上がる階段のところから眺めながら「自分ら2人の生活は脅かしてくれるなよなー」って思っている。だって階下で布団を持ってきゃあきゃあ騒いでいるのはモーニング娘。だったから・・・つう夢を見た。

「櫂」に続いて読んだ「春燈」の影響か。例の芸妓紹介業の家の子として多感な少女期を送る主人公綾子が登場する三部作の綾子が結婚するまでのお話。学校では成績優秀な上、ちょっと変わった家の子という綾子と自分の昔に重なるところが多く、いろんな痛みを少しずつ思い出しながら読んだ。

学校を卒業すると、在学中は仲良くしていた子とも連絡をとらなくなるタイプなので、自分には小学校や中学校から続く友達が皆無に等しい。おかげで昔話をする機会もほとんどないので、数々のエピソードもどんどん忘れていっているらしく、最近は自力では何も思い出せない。ところが「春燈」は戦前の話なのに、昔の自分を思い出すヒントをいろいろくれる。それくらい主人公の綾子が生き生きとしている。

生き生きとしているだなんて陳腐な賛辞かもしれないが、よくこれだけ作者自身の中身まで(予想)さらけだして「今思えば自分って随分ひどい人やったー」という悔恨を活字にしているなーと。あとがきに、「それが作家としてせめてもの誠意かと」といったくだりがあり、ひどく納得した。わざわざ活字にして他人に読ませる以上はと、そういう気概が働いている事ってままあるなぁと。それがオトコマエなモノ書きになる第一歩なんだよねって、遠く及ばぬ実績を持つ宮尾登美子さんの肩をぽむぽむと叩いているような気になりましたです。

春燈 (新潮文庫)

春燈 (新潮文庫)