電波の本

なんでもおもしろがる事のできる雑食性といいながら、洋モノSFの中にはどうしてもおいしくいただけない類のものがありまして。イギリスのジョークのように、ツボが違うんですな。楽しそうに夢の話をしてくれても、一向におもしろくない人と、何言ってもおもしろい人とがいるように。そういう分かれ目っていうのは、一本線じゃなくて何本もの線でできているんだろうけどっていうのを踏まえて聞いてください。

コリン・ウィルソンだけは自分の中で一線を画す作家だからというMBさんがかしてくれた「賢者の石」が、ちょっと彼女が危惧したとおりサッパリうんこでしたぁあああ!しょっぱなから電波なおっさん達が、脳に合金を貼り付ける手術してのち電波街道を走りまくっているのを、300ページ以上も誰もほとんど突っ込まないんだもの!400ページ以降はムー文明の趨勢を手早く説明してて嫌がらせに近い。どうでもいいし。オチもないし。これより読み辛いのは「聖なる侵入」くらいだったス。

ハナからイギリス人の階級差別的な世界の見方とか、えれえ雑な一般化とか、おもしろいくらい断定的な因果関係の判断とか、30年も前の本だからねー、そういうキャラ設定なんだよねーと思っていたけれども。あれ、ネタじゃないのね。それマンセーっていうか、むしろ大前提。フッサールぽいものの見方を会得するのに手術ってのはヤケに安直だし。遺物からビジョンを得る能力って高等教育受けたらある程度ゲットできるもんだし。そこんところを手術した仲間同士でしか共有できなかったら電波のままだし、詭弁でも思考回路を他人に説明ができてやっと内輪ウケから脱出できんじゃないかと。SF小説とはいえ勝手なビジョン垂れ流しじゃ寝言と変わんないもんつまんないわー、ってね。ビジョン自体がジョジョ並におもしろければ良いんだろうけど。

寝言でもおもしろいのはあるのに、何故ダメなのか。多分、盛りだくさんの「謎解き」のネタがストーンヘンジとかシェイクスピアとかポートワイン殺人事件とかムー文明とかラブクラフトとか、興味のないものだったから。もともと進化、心霊、真理、集団的無意識とかどうでも良い性質なのでどこを取ってもちんこがピクリともしませなんだ。そのへんが、枝葉もいちいちひっかかる京極シリーズとは違うところか。なぜか「ああ京極シリーズが読みてぇ」と思いながら延々と苦行に耐えたわけです。
「好きな人が好きな人は自分も好き」というのはAB君の名台詞だけど、「好きな人の好きな本は自分も好き」という風にはいかないようで。MBさんには本を返しがてら、ある種のSFやミステリーに対して、もそっとましな料理の仕方を聞いてみようと思いました。

賢者の石 (創元推理文庫 641-1)

賢者の石 (創元推理文庫 641-1)