ただの妄想

労組30周年書道大会の図


「雑誌と写真集とフィギュアはきりがないから買わない」
子供にしてはスカしたモットーだが、そんな自分が一時期毎週読み、買っていた雑誌「週間ベースボール」略して「週ベ」。セーラー服で買いに行くには、少しく恥ずかしい雑誌であった。そしてもっと恥ずかしい事に、自分は野球選手マニアであった。
毎日の話題の90%がプロ野球選手で占められていた中学時代、野球に関するものは「江夏の21球」から「走れ!タカハシ」まで何でも読んだ。「週ベ」もそれこそ端から端まで全記事読んだ。いろいろ読んだ中には、プロ野球というエンターテイメントの将来を憂えるものまであり、リーグがナベツネ大将のおもちゃであり続けたら、優秀な選手はどんどんメジャーに行って、行かない有力選手は巨人に集められて、どんどん野球がつまらなくなる。なんていう危機感ばりばりの対談が巨人ファンとアンチ巨人ファンによってまじめに行われていたのを覚えている。
それが10年以上も前のこと。落合の年棒が1億超えたといって騒いでいた時代のこと。野茂が近鉄で活躍していた頃のことだった。
球団の経営センスのなさや、日本の球界の構造が抱える問題を間近に感じていたのはファンだけではなく、当時から活躍していた選手も然りだったのだと、最近の古田敦也の活躍ぶりを見て思う。ただの宴会部長的名誉職だった選手会会長という役割を換骨堕胎して労組を作り上げ、組織してその代表として意見を堂々と述べる古田に政治家的手腕を見る。ストをも辞さない構えは、痛みある構造改革を経て野球選手の地位向上に努めてきた彼の仕上げの仕事にさえ見える。そう、ネタは何でも良いが、ストを断行できる立場まで選手会を引き上げた。よくも悪くもメジャー並にと。
しかし、古田はどこでその政治的手腕や組織力を培ったのだろう?1990年に入団してすぐに、古田は野村監督の愛弟子となった。この「生涯一捕手」と毎回サインに書き添えるほど、謙譲を装う尊大さにあふれた上司から受け継いだのだろうか。でも、労組を考えると、プロ入団前のトヨタ自動車のほうが思い浮かぶ。2年間勤めて退職金が4万円だったそうだが、トヨタの労組はでかい(28万人)、ふるい(昭和21年)、強い(昔はハンストまでしてるし)・・・。社会人野球で活躍していた古田にどれだけ影響を及ぼしたかは、妄想の範囲を出ないがちょっとおもしろい着眼点には違いない。
球団経営母体となっている会社にはロクな会社がないというのはパパ上の受け売りだが、世界に誇る日本企業を経た古田が、くだんのエライサン相手に毅然として将棋を指しているのを見るのはなかなかに楽しい。やはり自分は野球ファンというより野球選手ファンらしいよ。

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

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走れ,タカハシ! (講談社文庫)

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