箪笥の本

宮尾登美子の「綾子」シリーズでは最後にあたる「仁淀川」を読み直した。満州から引き上げて嫁ぎ先の農村に戻ってからの生活が話の中心なので、芸者紹介業や満州引き上げのような一種刺激的な内容に乏しいことを実は作者も懸念したらしいと、あとがきにある。しかし、順番に読んできても、そんなことは言われて初めてそう気付く程度で、農村で暮らしていても綾子の人生は相変わらず波乱万丈だ。そして「やっぱり箪笥が大事」というオチには、ここでサラリとネタばらししても分からないほど脱力する。
冒頭の描写にある仁淀川の流れはカラカラ地獄の満州と対比されて鮮やかだ。また、自分にはどうしようもない力が働いている運命という奔流の象徴としても力強い印象を残す。農村対市街地の構図が自然対人工の対比というより、戦前から変わりない日本と戦争で変わった日本を浮き彫りにしている新鮮さは二度目に読んでも変わらない。綾子が町で育ったお嬢さんだからか、自分とそう違わないものの考え方をするので、ついつい農村の価値観にひとりで立ち向かう無力感を味わう側になって読んでしまう。それは世情と変わらずにどうどうと流れる仁淀川と、二十歳そこそこの病気の嫁の対比でもあり、そう考え始めると鮮やかな対照は作品の随所に見られる。
町から来た使えない嫁と村育ちの見上げた実娘、終戦までのブンブンの父と終戦後に弱った父、粗忽者の後妻お照と万事行き届いた前妻喜和、戦災と地震でなくした実家と地震にも揺るがずに建て増しまでした嫁ぎ先の農家・・・などなど。そして農村の嫁として町のはやり歌ひとつ知らずに労働にあけくれるしかない使い捨ての境遇にありながら、後世に遺る存在たらんとして書き物を始める綾子=作者宮尾の初志を紹介して終わる。
あとがきの中で壇ふみが「綾子」のその後も書き続けて欲しいと熱望している。確かに成長物語の先が気になるものの、育ての母について書きたかったから書き始めた作品群ではないかと思うと、この作品で喜和が往生して終わってしまっても構わないと思った。

仁淀川 (新潮文庫)

仁淀川 (新潮文庫)