日露戦争の本

(会社に泊まる=通勤時間がない、ということで本を読んでいない。が、ちびちび息抜きにシバリョウの「坂の上の雲」を読んでいる。読み終わったものしか紹介しないルールの例外が、ここにちょっと顔を出します。)

日露戦争で活躍した兄弟、秋山好古秋山真之。それに真之の友人正岡子規を追いながら、日本が開国してから国際社会の頭数に入れてもらおうとシャカリキになっていた時代を描いている。陸海の軍人と俳人という組み合わせもさることながら、人物の「癖」を書いて魅力を引き出すシバリョウの手口にはまんまとはまる。

時代が時代なので、様々な国と歴史と戦争と、登場人物を取り巻く政情を説明するのに必要なだけの歴史観もあますところなく解説する。(青春群像?)小説としてはバランスが悪いのかもしれないが、シバリョウ作品の歴史解釈と忌憚ない意見には、ハタと膝を打つ思いがする。アメリカ、ロシア、それぞれの国の成り立ちと性格を観察する上で歴史を解釈する有効性に改めて気付かされる。

第3巻179ページの引用
「私は太平洋戦争の開戦へ至る日本の政治的指導者層の愚劣さをいささかでもゆるす気にはなれないのだが、それにしても東京裁判においてインド代表のパル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締め上げ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英知と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略がたとえおなじでも、嗜虐的なにおいだけはなかったにちがいない。文明社会にあたまをもたげてきた黄色人種たちの小面憎さというものは、白人国家の側からみなければわからないものであるにちがいない。(中略)」

歴史のある時期に対して「タラレバ」を語ることを愚劣だと繰り返し書くシバリョウが、あえて当時の日本と同じ条件の国がヨーロッパにあったとしても原爆を落とすのはためらわれただろうと続ける。

「国家間における人種問題的課題は、平時ではさほどに露出しない。しかし戦時というぎりぎりの政治心理の場になると、アジアに対してならやってもいいのではないかという、そういう自制心がゆるむということにおいて顔を出している。」

アメリカのある程度以上の教養人の間では、口に出してはいけないけれども共有している生理的嫌悪だとか、人種間にある3すくみのような優劣意識のベクトルのからみあいを、こんなにつるつると書いてあると、逆になんだかスッキリしますな。

シバリョウさん、アメリカはちっとも変わってませんよ。きっとあの国のなりたちのせいなんでしょうねぇ。

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)