ダメ人間の本

同世代作家への過剰な期待のせいか、阿部和重に空振りした。「グランドフィナーレ」の読後のニュートラルな感じは空振りとしか言いようがない。それは「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読み終えた時と似ている。ほんとうはここでちんこがピクリともしない理由を探るべきなのかもしれない。面白くない事を面白くないように書けば面白くないはずだ・・・といったように。けれど、寒天を2リットル飲んだような味気なさ、その分体温が下がっちゃったよ、みたいなしょーもなさに醒めてしまったので矛先転換。
昨今の「ダメ」な人の話なら村上龍の「共生虫」が面白かった。これまた「オカシイ人」本人の告白調で書かれていて、彼自身の思考法に絡めとられていくと分かっているのに地の文にのめりこむ。精神分析的に言えば統合失調症とか境界性人格障害とか、いろんなラベルがついて、原因としては幼児期のトラウマやらほにゃほにゃがらららだとか言うのだろうけれど、どちらかといえば毎日LSDかなんか食べていればこんな風になるんじゃないかと思う。どちらの生活も味わったことないから無責任な推測にすぎないけれど。
劇的に面白い事を非日常と定義して、非日常が日常に溶け込んでいる状態っていうのはある種の精神病かトリップ時かと解釈されるんだと考えた時、「共生虫」の酔うような香ばしさはどちらかというと後者の性質を持っているのではないかと。おもしろけりゃトリップで、深刻なら精神病という大雑把すぎる分類につながりそうなので、これ以上は話を進めないけれど、厳密にいえば違う性質の「非日常」を泳いでいる主人公なんじゃないかと推定しつつも引き込まれた。渡哲也が松竹梅じゃなくて水を飲んでいるのであっても、キマっていればそれでいいんだというノリで。(違うか)
要するに、砂漠の真ん中のお祭りでこれ以上ないくらいにシュールな体験をたっくさんした人には「共生虫」のほうが楽しめて、たとえ砂漠に行くほどコアじゃなくても、週末にクラブに行けば顔見知りが見つかる人でも「グランドフィナーレ」は頭でっかちな気がするのでは、と思った次第。

共生虫 (講談社文庫)

共生虫 (講談社文庫)