神隠しの本

桐野夏生の「やわらかな頬」は5歳の娘の失踪を機に、その母親と周辺の知人の人生が転回していく物語。おもしろおかしい題材ではないのに、実は「おもしろい・・・」としか思えなかったので長いこと紹介文が書けなかった。どちらかというと各人物の精神の「健やか」さが清冽な印象を残すので、「救えない」「暗い」「衝撃的」などと言われているラストも淡々と「さもありなん」と納得できた。そのせいか、どこがどうおもしろいのかと聞かれたら言葉に詰まるのに、「ムフフー」って満足してしまうおもしろさ。「娘をなくした母親のあてどない自分探しの旅」だと聞いていたら絶対読まなかったと思うので、他の言い方を探してみりょう。

回想を除いた話の中心は事件の4年後。幼い娘の失踪という非日常が持続するには長すぎる時間を経た、事件との距離感もまばらな様々な関係者と母親のカスミが会い、ガンの末期患者の元刑事とともに、事件後や事件当日、またはさかのぼった日々や事件の真相についての予想などを調べていく。自己嫌悪してしまうくらいひどい想像を夢に見るのもリアルだし、それぞれちょっと変わった人達と付き合うハメになるのもリアル。ただ、どの人物も事件に際して、また自分自身に対して、妙に素直な観察と評価を行っているのが気持ち良い。そもそも自分以外の人間にとってかわる事はできないんだし、下手な感情移入は相手に失礼でさえあるというスタンスを共有しているようで清清しい。

子供をなくした母親だとかガンの末期患者という、現代社会の悲劇のヒロイン(ヒーロー)としては鬼に金棒なキャラクターなのに、おざなりな鋳型でキャラ成形をせず、丁寧に感情と思考と行動の連携が描かれている。この自立歩行する登場人物に好感を持つと、絶望的な状況にも関係なく小説を楽しめる。

以前紹介した、宮部みゆきの「理由」でも、事件の関係者を繋ぐ線をたどって真相に至るまで、様々な人間像が緻密に描かれている。こちらの登場人物には本人がどうあがこうと結局は事件に巻き込まれる以外に人生のハイライトはやってこなかっただろうという「仕方なさ」「やるせなさ」が漂っている。逆にいえば、誰であれ同じ立場にあったら似たような結末になっただろうという悲しさが、本人の責任よりも社会全体の責任を問うような、ひいては読者ののどもとを締め付けるような具合になっている。が、「やわらかな頬」の場合は登場人物が自身の言動のケツを持つので、「ものがたり」として成立している。

「ものがたり」を味わう読者としての自由度が、この小説を読む喜びに繋がっている。殺人事件を扱ったサスペンスものとなると、すぐさま「真犯人解明」や「現場検証」「事件捜査の段取り」といった課題が与えられたかのように読んでしまう味気なさから解放される喜びと言ってもいい。だから、真犯人探しだとか、母親に感情移入するお涙頂戴ものだと思って読むと、当てが外れて苦しむ事になる。そういう拙い感想ばかり目にするので、検索しないでささっと読んでしまう事を強く勧めたい。

柔らかな頬 上 (文春文庫)

柔らかな頬 上 (文春文庫)