ストーカーの本

タイトルに少しでも惹かれた自分が嫌になるほど、北尾トロの「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」は非道かった。普段はなかなかできないことをちょっとした勇気を振り絞ってやってみようという企画ルポだが、ことごとく下らない。動機もダメだが、で、言えたらなんなわけ?というオチもない。でも、自分は小心者だけど正しいことやってるしーという、無批判な甘えが色濃いので気持ち悪い。人間をストーカーする人とされる人に分けたら、この人は「する人」に分類されると思う。詳しい理由は省くけど。(笑)

一方で桶川ストーカー殺人事件について、事件の発生から捜査の過程、報道の様子までを写真週刊誌の記者が追った「遺言」は、読み始めたら離せなくなった。記者クラブにも入れない三流メディアでカメラマンから記者になったという、ライターとして半端なはずの著者だが、読ませる。自分の社会的地位がどれだけ低いのか、それに反してどんな影響力を持っているのかを客観視しているので好感が持てる。事件記者をやっているだけで磨耗してしまいそうな感覚も拾い上げて、自分の立ち位置も明らかに事件後の動きを追っているから臨場感がある。もちろん書ける内容とそうでない部分はうまいこと選りすぐっているのだろうけれど。

一記者にも必死で真相を伝えようとした関係者に託された何かを抱えて、著者は事件の捜査に没頭してしまう。安直に正義感だとか遺族の感情論だとかを引っ張り出さないのが、エグい事件の内容が明かされていく中での救いになる。どちらかというと、告発調やらお涙頂戴ものといった類型の本を書くほうが余程簡単ではないかと思う。しがない事件記者という立場や、締め切りにひぃひぃ言う雇われ人の境遇を棚にあげて勢いで書けるだろうからね‥中学生の作文みたいに大上段振りかぶって。

大手マスコミじゃなかったから、カメラマンでもあったから、事件をたくさん見てきたから、いろいろな警察ともお付き合いしてきたから、仕事だからと割り切れない部分があるから・・・、いろんな要素が相まって、たとえ警察に足蹴にされてもこの著者だったからできた事がたくさん見えてくる。そこが、この事件を記者の目から捉えた醍醐味だと思う。

どちらのライターも正統派メディアや小説家から見たら、画家から見る漫画家だとか、銀行から見た消費者金融のような「一緒くたにされたくない(似て非なる)業界の人」なのかもしれない。でも敢然たる出来不出来の差があって、それは毎日こなしている一つ一つの仕事からして見て取れるんだと思うと、普段から適当に感想を書きなぐっているのが恐ろしくなりました。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)